一般社団法人 群馬県ボウリング協会

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一般財団法人群馬県ボウリング場協会概要

歴史

 昭和27年 東京・青山に初の民間ボウリング場がオープンし、群馬県には昭和36年ごろ前橋市石倉町に第1号のボウリング場(手動式ピンボーイ)が出現した。その後昭和39年6月前橋市国領町にレーンを移設し24レーンのボウリング場としてオートマチックピンセッターを設備して双葉ボウル前橋がオープンした。

 昭和40年に双葉ボウル桐生、太田ボウリングセンター、高崎ボウリングセンター、高崎ファミリーレーン、第一群馬ボウル、オープンし6センターになり、昭和42年に桐生スターレーン、伊勢崎スターレーン、前橋スカイレーンズがオープンし9センターになった。昭和40年4月に任意団体として日本ボウリング場協会が設立され、その下部組織として群馬県ボウリング場協会が設立された。昭和43年にはマロンボウル太田、ホテルフラワーヴィレッジフラワーレーン、富岡シルクレーンがオープンし12センターになる。

 昭和44年には太田パークレーン、渋川ミナミボウル、館林田園パレス、じゅらくエコーボウル、藤岡OPLボウル、東群馬沼田ボウル、新前橋アカギボウル、三原ボウル、安中シルクレーンがオープン21センターとなる。昭和45年に第一中央ボウル、草津ボウル、高崎OPLボウル、双葉ボウル吾妻中之条、高崎スターレーン、第二中央ボウル、高崎東宝ボウルがオープンし28センターになった。

 群馬県ボウリング場協会は、高崎市問屋町2-7-8高崎商工会議所ビル4階に事務局をおき法人化に歩きはじめた。昭和46年は3月大泉パークレーンをはじめに建設ラッシュがあり、19センター、昭和47年群バス日高ボウルはじめ18センター合計65センターが群馬県内にあった。

 昭和48年より過剰センターの影響で閉鎖ボウリング場が出て48年に6センターが廃業した。

 昭和48年6月22日 通産省の許可をへて社団法人 日本ボウリング場協会が誕生した。

 昭和49年1月24日群馬県の設立許可がおりて 社団法人群馬県ボウリング場協会が誕生した。

 第1次オイルショックにより県内のボウリング場は、閉鎖・再オープンが繰り返され淘汰されて、昭和53年には、加盟ボウリング場6センター(館林スポーツレーン・ボウルジャンボ前橋・上電ボウル・伊勢崎イモンボウル・富岡シルクレーン・前橋スポーツレーン)、未加盟6センター(東群馬沼田ボウル・オオサワボウル・渋川ゴールドレーン・賛光第一ボウル・日高ボウル・桐生スターレーン)となっていた。

 その後、昭和55年に桐生スターレーンが入会、昭和56年エメラルドボウル、昭和57年AMFパークレーン高崎、58年藤岡ボウル、59年太田パークレーンが再オープンし入会した。平成5年大泉パークレーン 再オープン、平成6年上毛ゴールドレーンが新設オープンし、入会した。

 平成20年11月藤岡ボウルは会費未納により除名処分になる。

 公益法人制度改革の中で社団法人を一般社団法人へ選択し、平成24年4月1日より一般社団法人群馬県ボウリング場協会が誕生し、前橋市国領町2-13-38所在地と定めた。

 平成24年12月藤岡ボウルが経営者が変わり再オープンし、平成25年4月入会した。

 平成25年5月ボウルジャンボ前橋閉鎖した。
 平成26年2月大雪の為大泉パークレーン屋根部分が壊れ閉鎖。
 平成26年3月現在8センター254レーンとなっている。

役員名簿

役員名 氏名 センター名 備考
名誉会長 中野 啓一郎 桐生スターレーン  
会長 馬込 俊哉 エメラルドボウル  
副会長 山本 高治郎 太田パークレーン  
理事 児玉 三郎 パークレーン高崎  
理事 斉藤 由美子 藤岡ボウル  
会員 井門 宏 伊勢崎イモンボウル  
会員 姜 孟 上毛ゴールドレーン  
監事 中島 茂和 太田パークレーン  
監事 吉田 信昭 株式会社吉田会計  
専務理事 新里 擁亮 事務局  

財務諸表

貸借対照表は以下にてご覧いただけます。
貸借対照表(pdfファイル)をダウンロード(2015-1.pdf)

収支計算書は以下にてご覧いただけます。
収支計算書(pdfファイル)をダウンロード(2015-2.pdf)